争いがあった。大きく激しい争いが。人の果てない欲望が生み出した末路がそれだった。
時は第二世紀。いつしか人類は宇宙にまでその行動範囲を広げていた。人間の持つ好奇心という行動力が何もなかった宇宙を変えていった。何もない宇宙に人が住める空間を求めた結果、衛星都市であるコロニーが造られ、宇宙で細かな作業を行うため人型を模した機構が造られた。こうして人類は次第に地球から宇宙へと生活の場を拡大していった。
そして、僅かな時の間に人は月や火星にまでその手を延ばしていった。
前世紀から少しずつ開拓計画が進められていた月に比べ、火星の開拓は思いのほか難航した。というのも地球・火星間の距離に問題があったからだ。当時の技術力ではこの距離は果てしないものに近かった。
だがそれでも人が火星の開拓をやめなかったのには訳があった。
火星には地球にはない未知の資源が数多く存在したのだ。そして、そのうちの一つにmitecoと呼ばれる特殊な鉱石があった。それが後に争いの発端になるとはそのとき誰も思いもしないのだが…
火星に住家を移した人々は火星にある資源を有効に活用し、自らが住む土地を豊かにしていった。見る見るうちに成長していく火星に地球側の人間はいい気分ではなかった。それもそのはずだろう。地球側にとってみれば火星は地球にはない特殊な資源を得るための鉱山と同じだった。そのためにあれだけの苦労をして開拓したのだ。それだというのに気がついてみれば火星は地球の援助もいらないほどに成長していた。これには地球側も焦りを感じ始めた。いつか自分たちの手から離れるのではという不安が彼らを襲った。それが歪みを生み出すきっかけとなった。
いつしか人類は大きく二分されることになる。――地球人と火星人。昔のお話の中に出てくるような呼び方で人々は二つに区別されるようになった。
火星人≠ニはよく言ったもので地球側から見れば彼らは奴隷に近いものだった。物資を供給する植民地とまで言われ、地球の人間から蔑まれ、こき使われた。これには火星の人々も黙ってはいなかった。
「何故こんな目にあわねばならない!」
「私たちが何をした!」
「こんなの横暴だ!」
火星の人々はそんな地球のやり方に憤りを感じた。こうして地球と火星の隔たりはどんどん大きくなっていった。
そして遂に地球と火星を完全に分かつ出来事が起きた。きっかけはちょっとしたことだった。火星政府が地球政府に対して独立を求めてきたのだ。自分たちにはもう援助は要らない。火星は火星でやっていけると言ってきたのだ。これに対し地球政府は猛反論。誰のおかげでそこまで成長できたと思っている、まだその時期ではない、分をわきまえろ、という地球側の言い分にもめげずに火星側は何度も独立を訴えた。
予想を上回る勢いを見せる火星に対し、地球政府はこれ以上の交渉に意味はないとみなし、実力行使に打って出た。これが地球側による武力の圧政の始まりだった。火星はこれに対して武力を行使、ついに地球と火星は全面戦争に突入した。
戦いは熾烈を極めた。両軍ともにALSと呼ばれる人型兵器を主戦力に戦いを繰り広げた。だが数で勝る地球に火星は少しずつ押され始めた。
このままでは勝てないと感じた火星は極秘裏に開発していた新型兵器TFフレームを戦線に導入したのはまさにそんなときだった。
mitecoと呼ばれる人の精神力に共鳴してエネルギーを発生させる特殊鉱石を核とした機動兵器…それがTask-Force Frame―TFフレームだった。
TFフレームはその特殊性ゆえに大量生産には向かなかったが、性能はALSを遥かに凌ぐものを有していた。このTFフレームの登場が戦況を一変させた。劣勢だった火星軍はTFフレームの投入により戦況を五分にまで持ち直した。それほどまでにTFフレームの性能はずば抜けていたのであった。
この事態に勝機を焦った地球軍は起死回生を狙い最終作戦を発動させた。
――作戦名mischief ripple――Cancerous Strifeと呼ばれる長距離破壊砲を用いた殲滅作戦。その一撃は火星を意図も簡単に火の海に変えられるほどの威力があるという。
協力者の情報からこの作戦を知った火星軍はすぐさまこれを阻止すべく、持てる兵力を全てつぎ込み、すぐさま地球へと進軍を開始した。
地球衛星上に不気味に佇む長距離破壊砲。ここがこの戦争における最後の戦場だった。付近の宙域では激しい攻防が繰り広げられ、あちこちで大中小規模の爆発が起きていた。
この戦いで火星も切り札を投入した。切り札―The Fates Frameと呼ばれる三機のTFフレームは戦いを止めるべく戦場を駆け抜けた。TFフレームを凌駕するポテンシャルで次々と戦場を制圧していくThe Fates Frame達。このまま行けば戦いは終わる。誰もがそう思ったときだった。
終焉は誰もが予想し得なかった方向に転がり始めたのだった。
誰がこの状況を予想し得ただろうか。それはあまりに唐突な出来事だった。突然、長距離破壊砲の一部が地球に落ちていく不測の事態が起こったのだ。それが戦闘による余波による影響なのか、それとも故意に引き起こされたものかは知りよしもない。だが、それが地球に落ちればどうなるかくらいは誰にでも容易く想像できた。
地球に落下する破片と発射寸前の長距離破壊砲……地球と火星は同時に存亡の危機に直面した。
長距離破壊砲を止めようと必死に攻めていく火星と、落ちてくる破片を止めようと必死になっている地球。
その姿はどこか同じように見えた。希望を失いたくないと躍起になる姿はやはり同じだった。
同じ人間同士でなぜ戦うのか、そう考える人は多い。だが、それは愚問でしかない。人は争うもの。戦いがあるから人は進歩する。戦いは否定であって否定ではないのだから。
――止まらない。
誰もが絶望したとき、信じられない奇跡が起きた。
突如として長距離破壊砲が大爆発を引き起こした。これによって長離破壊砲は崩壊を始めていった。
それから程なくして落下を続ける破片にも大きな変化が起こった。凄まじい速度で落ちていく破片が何かの力を受けて僅かだがその速度を緩めていく。落下する破片を受け止めるように光の輝きが見える。まるで破片を押し返そうとしているかのように。
そして、
「止まれぇぇぇぇぇっ!」
光が全てを覆いつくし、そして……終わりへとたどり着いた。
第二世紀133年。世界はその姿を取り戻した。
第二世紀135年。あの忌まわしい戦争から二年が経った今、世の中にはまだ戦争の名残が残っていたが、それでも少しずつ平穏が戻りつつあった。
だが、それでも世の中が平和になったわけではない。秩序は未だ乱れたまま、あちこちではあらゆる犯罪行為が頻繁に起きていた。
そんな中、
「暑い…」
少年は額から流れ落ちてくる汗を拭った。
『はいはい。文句を言うなら雇い主に言ってください』
少年の相棒は事も無げにそう言った。
「む。この仕事請けたのバンじゃないか」
『そうでしたか?』
青年―バンは特に気にした様子もなく答える。
「そうだよ。それなのになんで僕だけこんな目に遭うのさ」
『私はあくまでサポート役に過ぎないですし、表立った仕事は君の受け持ちのはずですよ』
「それは、そうだけど…」
間違ってはいない。間違ってはいないがどこか納得がいかない。
『それにその機体は君にしか扱えないものですよ』
「む…」
それを言われては元も子もない。機体の操縦技術だけはそこら辺の戦争屋よりも上だと自負している。だからこそこんな仕事をしているのだ。
『そこを右ですね。そこを曲がってあとは真っ直ぐ進めば例のポイントが見えるはずです』
「…了解」
少年は渋々頷くと言われたとおりに機体を進めていった。
今のご時勢、全うな仕事ほど損をみるものはない。なにせ世上が安定していないためにあちらこちらで平気で犯罪が行われている。中でも一番厄介なのが宇宙海賊と名乗る無法者の存在である。その名のとおり、星の海―宇宙を横行し、軍の捜査網を掻い潜って非道を尽くす悪人たちである。宇宙海賊が襲うのは防衛戦力のない民間企業の船がほとんどで襲われれば最後、逃げ切るしか道はなかった。
そんな時現れたのが傭兵という職種だった。傭兵とは簡単に言えば何でも屋に近い存在である。だが個人で戦力を保有しているため、その仕事のほとんどが護衛であり、護衛対象は心配性な要人から気の弱い商人まで様々だった。
これをきっかけに傭兵は表舞台に立つ機会が増え、傭兵という存在を知った人たちは身を守るため、大事に商品を守るため、こぞって傭兵を雇い入れた。
傭兵という存在はそれこそ昔から存在したがあまり羽振りのよいものではなかったし、何より危険が伴うため、進んでなろうという者は多くはなかった。だが、傭兵を必要とされている現在、これほどおいしい仕事は他にはなく、これをチャンスとばかりに軍人上がりの職なしや興味本位の民間人などが傭兵になっていったのは言うまでもない。
その一人がここにいる少年というわけだ。
「うう…やっぱり暑い…」
だが傭兵というのも思っているほど楽な仕事というわけではない。
今、少年がいるのは燃え盛る火の海の中だった。正確にいえば炎上している宇宙ステーションの中を愛機で進んでいた。
空気のない宇宙空間とはいえ火災は発生する。人間が暮らすために空気は必要不可欠であり、燃焼元がないわけではない。地上の火災とは違い、火が他に燃え移るということはないが、密閉空間ということ、外が無酸素空間ということもあり、宇宙での火災はかなりの危険を伴う。
その中を進んでいくのは無謀以外の何物でもない。だが依頼である以上、それがどんなに危険だろうと傭兵は受けた依頼を確実にこなさなくてはならない。それが傭兵であることの責任と義務というものだ。
だとしてもだ、傭兵が依頼内容に不満を持ってはいけないというわけでもない。
「せっかくの休養だっていうのに…いきなり、それもこんな仕事引き受けるなんて何考えてるんだよ、バンは」
開口すれば不満しか出てこない。せっかくの休養もこの火災のせいで台無しになり、しかもいきなり仕事の依頼が入ったかと思えば依頼内容がアレなだけに文句の一つも言いたくなる。
「うわ…コクピット内の温度40度超えてるよ」
機体内部の冷却装置が効いているとはいえ長時間炎の中にいれば嫌でも機体温度は上昇するし、その余波とばかりにコクピット内部まで暑くなる始末。それに加えて貨物運搬用の通路を無理やり突き進んでいるため小回りが利かず、何度壁を撃ち抜こうかと思ったことか。まぁ、そんな無茶なことをすれば火災で脆くなっているステーションがほぼ確実に瓦解することになるのだが。
「踏んだり蹴ったりだよ、全く」
がっくりと肩を落とす少年。
「これも仕事と割り切るしかないのかなぁ」
愚痴ったところで依頼内容が変更になるわけでも、コクピットが涼しくなるわけでもなし。ここは黙って任務に専念することにした。
「ここがポイントか」
時間をかけ、ようやく目的のポイントに到着した。周りを見渡せば、そこにはなんでもないただの壁があるだけだった。通路はまだ先に続いているというのに少年は機体をそこで停止させた。
「バン。ここなら突き破っても平気なんだよね?」
『ええ。ステーションの構造図を見る限り、問題ありません』
「よし…」
そう呟き、少年は迷うことなく機体を壁に突っ込ませた。
幾重にも重ねられた装甲と何の変哲もない壁が正面から衝突する。爆発的な加速力と厚い装甲から繰り出された突進は糸も簡単に壁を突き破った。
軽い衝撃がコクピットに伝わってくる。下手に火器が使えない分、体当たりという単純な手段が一番効率的だった。
「へぇ…これはなんともまぁ」
壁の向こう側にあったのはALSが数体入っても余裕なほどに大きな空間だった。
『メインフロアに出たようですね』
さすがは要人や重役が何人も足を運ぶ場所なだけはある。メインフロアは吹き抜け構造になっており、一種の展示フロアとしても使うことができるようである。
「ここから例の探し物までは?」
『そこまで行けば探し物は目と鼻の先です』
「ならさっさと見つけて早く帰ろう」
『いいんですか? 折角の休養なんですよ』
「いい。休めないなら帰る」
『そうですか。君がそう言うのであればそうしますが』
「分かったなら、早く案内してよ」
『そう急かさないでください。今位置情報をそちらに転送しますから』
「よろしく」
それから数秒と経たないうちに目的の依頼品の位置が送られてきた。
「さすが♪」
少年は相棒―バンの腕を絶対的に信頼している。少年がバンと一緒に仕事をしているのもそういうところが大きい。前衛は少年、後衛はバン、これが二人の間で暗黙のうちに交わされた決まりごとだ。
「どれどれ……確かにここからだと近いな」
見ればと目的のものはこのメインフロアの最上階―VIPルームにあるようだ。ここからならば吹き抜けを一気に飛んでいけばそれこそ一瞬でたどり着く。
だがそこには問題が一つあった。
「たどり着いたはいいとしてどうやって部屋の中に入ろう…」
外は灼熱の海である。生身で出て行くには無理がある。耐火性に優れたス防護服でもあれば話は別だが、あいにく少年はというとジーンズにパーカーというごく普通な格好だった。
「まぁ、今悩んでもしょうがないし、とりあえず行くだけ行ってみよ」
少年の言葉とともに黒い巨体は一気に吹き抜けを駆け上っていった。
最上階にたどり着き、最初に見た光景に少年は目を丸くした。
そこには火災による被害は一切なく、まさに元のままの状態であった。どうやら火の手もまだここまで上がってきてはいないようだ。
「これならなんとかいけるかも」
現場は異常なし、火の手もすぐにはやってくる気配はない、酸素も問題なし、とここまで条件が揃っていれば後は行動に移すのみ。
機体を床に寄せていく。慎重に床を壊さないようにゆっくりと機体を寄せ、降りられる場所を確保する。機体を今の位置に固定しコクピットハッチを開いた。
「熱ッ!?」
ハッチを開けると同時に外の空気がコクピット内に流れ込んできた。あまりの熱さにまともに息をすることもできない。火の手はなくても建物全体が燃えている上にコロニーという密閉空間である以上、内部が高温になるのはさも然だった。
「こりゃ、早くしないとこっちが蒸し焼きになっちゃうよ」
服の袖で鼻と口を押さえながら、素早く外に出た少年は真っ直ぐにVIPルームを目指して走り出した。
倒壊の危険は去っていない。早く、そして確実に依頼品を回収しなければこちらの命が危うくなる。今このときも火災の魔の手は伸びてきている。
「このッ!」
走った勢いに任せて部屋の扉を蹴破り、少年は滑るように中へと入った。
幸い、部屋の中は無事でこれといった損傷もなく、少し前まで人がいたことを感じさせた。
早速部屋の中を見渡す。目的の物はバッグ程度の大きさで材質は金属でできているらしいのだが…
「キャリーバッグってことかな…いやでもアレが入ってるとなるとそれじゃまずいか」
少年は一人ぶつくさと独り言を言っていた。
それから数分掛け、入ってすぐのリビングを隈なく探してみたものの、目的の物は見つからなかった。
「くそ…ここにないとなると後は虱潰しに部屋を探していくしかないか」
ただでさえ無駄に広い上に部屋の数も相当ある。考えなしに全ての部屋を回るとなると相当な時間がかかってしまう。
「ここは自分の運に掛けるか」
自分が見つけるのが先か、それとも部屋に火が回るのが先か、どちらにせよ分の悪い賭けである。
何か手がかりになるようなものがあればいいのだが…
「待てよ…中身がアレなら必ず自分の目の届くところに置くはず…!」
そう言った次の瞬間、体が動いていた。
行き先は決まっている。必ず目につく場所でリビング以外にあるとするならそれは…
「寝室だ!」
それから程なくして少年は寝室に到着した。
辺りを見渡す。
「あった!」
見つけたそれは確かにバッグ程の大きさで外枠は金属でできた頑丈そうで洒落た箱だった。
すぐさまそれを持ち帰ろうと箱上部の取っ手に手を掛けた。
「クッ…これ結構重いや」
持ってびっくりしたのはその重さだった。明らかに見た目以上の重さを誇っている。
よく見れば箱に使われている金属は一部のALSの装甲板に使われているのと同じ特殊合金でできていた。この特殊合金は薄さの割に頑丈なのが特徴だが欠点が一つ、重いのだ。おかげで重量級のALSや超長距離の狙撃型ALSにしか使われていない代物だ。
どうりで重いはずである。そんな特殊合金を使っているとはさすがは成金と言うべきだろう。
「さて…どうしよ」
このままの状態で持っていくのはさすがに時間が掛かり過ぎてしまう。それでは脱出が間に合わない可能性が出てくる。
考えること数秒。
「中身さえ無事ならいいよね」
居もしない誰かに尋ねてみる。
「よし、決めた」
少年は意を決して箱のロックを外した。
相棒である少年が突入してからおよそ二十分が経過した。
火災発生から一時間、そろそろステーションの耐久も限界間近だろう。離れたところから見ているので分かるが、すでにステーションのあちこちが倒壊し始めている。今はまだ少年が突入したポイントは無事のようだがそれもいつまで持つか分からない状態だ。
だというのに、
「早くするザマス!」
バンの隣でいかにも成金といわんばかりの女性がヒステリックに声を上げていた。
「まぁまぁ、少し落ち着いてください」
「これが落ち着いていられるザマスか!?」
さっきからこの調子である。バンが何を言っても聞く耳を持たない。
「私の相棒は優秀ですのでもうしばらくお待ちください。すぐにでも依頼をこなしてみせますので」
「だったら早くするザマス!」
何回この問答を繰り返せばいいのだろうか。すでに十数回は繰り返している。
「はぁ…」
依頼人に隠れてため息を漏らす。
「早く戻ってきてください」
今ここにはいない相棒に届きもしない願いを口にした。
「何か言ったザマスか?」
「いいえ、特には」
「そうザマスか」
狭い船内を右往左往しているところを見るとよほど落ち着いていられないらしい。
――それもそうでしょうね。
バンは心の中で苦笑した。
なにせ大事にしていたものをあの火の海の中に忘れてきてしまったのだから。
(まぁ、それのせいで私たちはこんなに苦労しているんですが…)
それは三十分前のことだった。
二人はたまたま休養にと寄ったこの場所で突然の火災発生という事態に遭遇した。そのことを知った二人はとりあえず途方に暮れていた。
そんなときにいきなり全域チャンネルで「助けてザマス!」という悲鳴にも似た声が聞こえてきた。
最初は単なる悪戯か何かかと思って関心を示さなかったが、「お金はいくらでも払うザマス! だから助けて欲しいザマス!」という言葉にはさすがに関心を持ってしまった。
今思えばやはりやめておけばよかったと心から思うが今更どうしようもない。
通信元を辿って着いた先で待ち構えていたのは金に物を言わせた豪華絢爛な客船だった。
「どうなさいましたか」
客船に向かって回線を開き、バンが交渉に入った。
『どうしたもこうしたも……私の大事な大事な…うう』
全く持って話が見えてこない。それ以前に話にすらなっていない。
「あの…ですから何があったんですか」
『うう…』
完全にこちらを無視して悲しみに浸っている成金奥様。
相手がこれでは交渉の余地がない。
「あのですねー」
バンが交渉を諦めかけたちょうどそんなとき成金奥様の横に控えていた燕尾服を着込んだ初老の男性が音もなく前に出た。
『詳しいことは私からお話いたします』
「貴方は?」
『これは申し送れました。私、執事のモリス・コンスタンと申します』
この初老の執事が言うにはなんでも逃げる際にとても大事なものをステーションの中に置いてきてしまったらしい。
「そうですか…それは大変ですね」
口先だけ心配しているように見せる。交渉とは相手に合わせることから始めるものだ。
だがそんなバンの考えを余所に少年がどうでもよさそうに口を開いた。
「どうせ我先に逃げようとでもしたんじゃないの」
少年の口から厳しい一言が飛んできた。あながち間違いではないだろうが今言っていいことではないのは確かだ。
「あ…いえ、これはその…」
少年の一言にバンは肝を冷やした。下手をすれば交渉どころではなくなる。
だが、
『いやはや、お恥ずかしながらそのとおりでございます』
と成金奥様に聞こえないように囁き声で答えた。
「話を戻しますが、もし仮に私達があなた方のお手伝いができると言ったらどうします?」
『それはいったい…』
「私達でよければ力になりますが」
『それは本当ザマスか!?』
今まで話を聞こうともしなかった成金奥様が飛びつくように反応した。
「ただしですね。こちらもあの火の海に飛び込むわけですからタダでと。何せ私達、傭兵ですので」
その一言に一瞬だが執事の顔が曇った。
『傭兵……報酬さえ貰えればどんな汚い仕事でも請けるというあの…』
明らかに傭兵というものに対して嫌悪感を抱いているように見えた。
その僅かな心境の変化を二人は見逃さなかった。
「確かにそういう汚い仕事をする傭兵もいないわけではないですよ。ですがこれだけは言っておきます。私達をあんな下衆と一緒にされては堪ったものじゃない」
そこには先ほどまでの穏やかさは微塵もなかった。物腰の柔らかそうな雰囲気が一変して、後に残ったのは感情のない冷たい表情だった。
「バン…」
少年が嗜めるように青年の名前を呼んだ。
「おっと、これは失礼しました」
そして、青年は何事もなかったかのように先ほどまでの柔らかい雰囲気に戻っていった。
それをどう取ったかは知らないが執事は静かに口を閉ざした。
「それで私達を雇っていただけるので?」
『お金はいくらでも払うザマス。だから早く行くザマス!』
「では交渉成立ということで。あ、報酬のほうは後ほどゆっくりと。それで忘れてきた物というのはいったい何なんですか」
それが分からなくては回収のしようがない。大きさによっては最悪ステーションの一部を破壊しないといけない可能性もある。
だが、成金奥様の口から出てきたのは二人の予想を大きく外れたものだった。
『物じゃないザマス! 私の愛しい愛しい猫のエリザベートちゃんザマス!』
「は?」
一瞬、二人は耳を疑った。いや正確には耳を疑いたくなった。
「猫…ですか」
まさか猫を忘れてきたとはさすがの二人も思いつきもしなかった。
『そうザマス』
もう一度確かめてみるがどうやら間違いではないようだ。
少年は無言のまま相棒のほうに顔を向けるとそこには相棒のにこやかに笑顔が待っていた。
「え…受けるの? この依頼…」
ステーション内部は火の海。このまま依頼を受ければ、猫一匹のために命をかける羽目になるのは目に見えている。
「もちろんです」
だというのに少年の相棒は容赦なく言い切った。
「やらなきゃダメ…?」
別に猫が嫌いとか猫アレルギーだとかでは決してない。だがわざわざ命をかけてまでするような仕事なのだろうか。
「はい♪」
こういう笑顔のときのバンに逆らったところで、どうせ打ち負かされることくらい少年は嫌というほど思い知っていた。
「はぁ…分かったよ。行きます。行けばいいんでしょ」
こうして少年のある意味過酷な依頼が始まったのだった。
少年が意を決してロックを外すと中から猫の鳴き声が聞こえてきた。
「にゃ〜♪」
鳴き声とともにケースの奥から依頼品改め彼女が姿を現した。
お金持ちの飼い猫というだけあって、毛並みにシルクのように滑らかで、その姿はどことなく気品を感じさせる。やはり血統つきの猫なのだろう。ケースの中に長い間閉じ込められ窮屈で縮こまった体を伸ばしているその姿さえ絵になっている。
「君がエリザベート?」
少年は言葉が分かるはずもない猫に名前を尋ねた。そこに深い意味はなく、ただ聞いてみたかっただけ。
「にゃー」
猫は猫でまるで「そうよ」と言っているように鳴き返してきた。
それに満足した少年の顔が柔らかく笑顔になった。
「そっか。なら僕と一緒に行こうか。君のご主人様も心配して待ってるよ」
両手を広げてエリザベートを誘い入れる。
「にゃ?」
それが何か分かっていないのかエリザベートは不思議そうに首を傾げた。
「ほら、おいで」
少年は優しく呼びかける。
「大丈夫だよ。だから、ね?」
自分は安全だよ、不安はないよと何度も優しく呼びかけた。
「にゃあ」
少年の思いが伝わったのかエリザベートは一歩ずつ少年に歩み寄ってきた。
少年は焦らずゆっくりと近づいてくるのをひたすらに待った。
そして、エリザベートが腕の中に納まる位置まで着たところで優しくエリザベートを抱き上げた。
「よし、いい子だ」
エリザベートは嫌がる素振りもなく、落ち着いた面持ちで少年の腕の中に抱かれていた。
本当によくできた猫だと感心するが今はそれどころではない。
「後は…」
エリザベートを落とさないようにしっかりと抱きかかえ、少年は急いで愛機の下に向かっていった。
「遅いザマス!」
痺れを切らせた成金奥様がバンに食って掛かった。
「何をやってるザマスか!? 早くしないと…早くしないとエリザベートちゃんがぁ…」
もう我慢の限界が近いのが手に取るように分かる。このままでは首を絞められかねない勢いだ。
「突入してからもう四十分…そろそろといったところですか」
「何を言ってるザマス?」
バンの呟きに不思議そうに首を傾げる成金奥様だったが次の瞬間、それは驚きに変わった。
熱さから猫を守るために服の中に入れると、急いで機体の元に駆け出した。
部屋を出た途端、音を立ててVIPルームの天井が崩れた。
「危なかったぁ…急ごう!」
コクピットに戻ってきた少年はすぐさまハッチを閉め、モニターで外の状況を確認した。
「もう八割がた倒壊しちゃったか…この様子だと来た道も潰れてる可能性が高いな」
すでに周りは火の海だ。実際コクピットに飛び込んだのもギリギリだった。退路は絶たれ、逃げ場もない。
「となると方法は一つか」
片腕で抱いていた大事な依頼品を膝の上に載せ、両手でしっかりとグリップを握った。
「やるとなると一発で決めないと」
そう言うと少年は送られてきたマップデータに目を通した。
「一番壁が少ないところは……あった。ここの一番下か。よし!」
この吹き抜け構造のメインフロアで一番壁が薄かったのは展示フロアのある最下層だった。そこには展示物資専用の搬入用通路があり、隔壁も他の居住フロアと比べると少ない。
少年は急いで機体をそこに奔らせた。
「…あった」
最下層―展示フロアの入り口とは反対の位置に通路へと繋がる隔壁があった。
すぐに機体を隔壁の近くに寄せる。
「撃ち抜くなら最大出力じゃないとダメっぽいな」
他の場所よりも隔壁の数が少ないといっても相当な数がある。それこそ戦艦の主砲クラスの威力が必要となってくる。
「だったら…ケルベロス<a[ドP、エネルギーチャージ開始」
黒い巨人の両腕に装備された銃口に火が灯る。火はやがて炎へと変化し轟々と燃え盛っている。
「チャージ完了」
後は引き金を引くだけ。少年の指に力が入る。
「発射」
少年の叫び声とともに両腕の銃口から勢いよく炎が吐き出された。
それは一瞬の出来事だった。
突如、ステーションから閃光が吐き出された。明らかにその一撃は内部から放たれたものだ。
「な、なんザマス!?」
突然の事態に混乱する。
「あんな狭い空間でケルベロスを…それもモードPを使うなんてまったく無茶をしますね」
苦笑交じりにバンは安堵の表情を浮かべた。信頼しているとはいえ心配していなかったわけではない。
少年とバンの付き合いもかれこれ三年近くになる。出会いはひょんなことから始まり紆余曲折あって今に至る。
今でこそ信頼し心配し合える相棒だと言えるが、昔はひどく曖昧な関係だった。だがそれも今ではいい思い出だと思っている。
「どうしたんザマスか!?」
混乱している成金奥様の声がバンを現実に引き戻した。
「え? あぁ…心配いりません。あれはうちの相棒からの合図みたいなものです」
「合図…ザマスか?」
「はい。あと少しで出てくるはずです」
それから一分も経たずしてバンの言ったとおりになる。
ステーションに無理やり開けられた穴から凄い速度で黒い機体が飛び出した。飛び出した機体は真っ直ぐにバン達のいる小型艇のほうに向かってきた。黒い機体から通信が入る。
『ただいま』
モニターに少年の顔が映し出された。その表情には余裕があり無事なことを一層引き立てた。
「少し心配しましたよ」
『ごめん、ちょっと手間取っちゃって』
苦笑しながら頬を掻く少年。
「いえ、信じていましたから。それで目的のものは…?」
『大丈夫。ほら』
そう言うと腕に抱えていたものを前に出した。
「エリザベートちゃん!」
感極まって成金奥様はモニターに食い入るように近づいた。
『任務完了、ってね』
「お疲れ様です。できれば早く戻ってきてもらえると助かります」
バンの後ろから何か聞こえてくるが今は無視しておく。
『了解。すぐに戻るよ』
それを理解してか少年は苦笑交じりにそう言って通信を切った。
「ということですので、もう少しお待ちいただけますか」
「早くするザマス!」
気の短い人を相手にするといつもより二倍疲れる。
だがそれも無事に終わり、やっと休むことができる。
「と、その前に先送りにした報酬の件につきましてお話が…」
この後、バンがどれほどの報酬を支払わらせたかは少年と足元を見られた依頼人しか知るよしもなかった。
「お困りごとがありましたら、是非とも私たち九龍≠ノご一報を」
最後の最後までバンは抜け目がなかったのは言うまでもない。
そんなバンを見つめながら少年はため息をついた。何もこんなときにまで営業しなくてもいいだろうと内心思ったが生活するためにはそうも言っていられないことくらい理解していた。
だが、次の仕事はもっと楽でまともな仕事を取ろうと少年は心の中で誓ったのだった。